失われていく日本人の寛容さ

ホアルー

よく日本では器が大きい小さいとか言う話を耳にしますよね。人として器が大きいっていろんな意味あいがあると思いますが、いかに人やものごとに対して寛容であるかもその尺度の一つと言えます。

ここで寛容ってどういう意味かというと、広辞苑によれば

①寛大でよく人を許し受け入れること。咎めだてしないこと。

②他人の罪過を厳しく責めないというキリスト教の重要な徳目。

要は人の過ちを許し、責めることなく受け入れる心のありようといった事ですね。宗教や文化に対して、分け隔てなく受け入れる場合にも使用されます。

で、日本社会からこの寛容さが失われつつあるといった言葉も良く耳にしますが、私もこれに対して同感な部分が多いです。

まず前提として日本社会において日本人の価値観にそぐわない市場原理主義がはびこり、企業は目先の利益・株主利益を追求しています。

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そもそも市場原理主義の主論は小さな政府と政府による自由経済への不干渉ですがまだまだ成熟度が不足している日本経済に、自律的な自由競争経済の構築は不可能であったと見るべきで、その未成熟な部分が企業の目先の利益や株主利益のみの追求といった短絡的な行動の原因です。

最近の技能実習生の監理団体による不当行為もこの流れを如実に表しています。
こちらの記事を参考に
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元来、日本人の気質や日本文化は寛容さを美徳とするものが多いです。礼節を重んじるのも人に寛容であれという教示のようなものですし、寛大な人は周囲からの尊敬を集めます。

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しかし、現在の日本社会は企業が目先の利益を追うあまり、寛容さではなく利益や便利さを美徳とする社会に変化してきています。

もちろん利益や便利さを否定する訳ではありませんが、そればかりを追求してしまうと息苦しくなってしまいますよね。

その息苦しさが要因で、寛容さが失われているのではないでしょうか。それはすなわち日本人らしさが失われていくという事です。寂しいものですね。

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Posted byホアルー

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