職人さんの技術への敬意をなくしてはいけない

ホアルー

私は仕事がらいわゆる職人さんと呼ばれる人と仕事をすることも多いのですが、もちろん職人さんの中でも気さくな人もいれば、昔気質の職人気質の人もいます。

ただどのようなタイプの職人さんでもやっぱり自分の技術には誇りを持っていて、自らの技術に傲慢なのではなく、長年真摯に仕事に打ち込んだ結果の技術なので、特別それをひけらかす訳でもなく、体に染み付いたものなので、自らの仕事人生が具現化したようなものです。

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そのレベルまで達すると作業一つ一つ、道具使い一つ一つに無駄がなくときおり美しいとさえ思う時もあります。

で、最近の風潮でAIやIOTでの代用がきく技術を軽視するような動きがあるのですが、ちょっと立ち止まって考えて欲しいのです。

例えば、名工と呼ばれる職人が作ったものには、その長年の技術の蓄積、時間の投入、職人の想い、その人の生き様などが作品に表現しがたい趣きと風情を醸し出させます。

もし同様の作品がロボットによって作り出すことができたとして、全く同じ風合い、趣き、味をだせるでしょうか?私はそれは不可能だと思います。

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人はその職人の長年の、もの言わぬ努力や鍛錬、情熱を注いだ時間、生き様を映し出した魂の作品に心奪われるのです。


私は最近のそういった職人の技術を軽んじる風潮には少し危機感を覚えます。

なんでも簡略化して量産化すれば良いというものでもないですし、日本の職人技術を上手く最新技術と融合させることができれば、2000年代に世界で圧倒的な敗北を経験したものづくり市場が再び輝きを取り戻すのも可能ではないでしょうか。

日本のものづくり喫緊の課題は高齢化する職人さんたちの技術をいかに若い世代に受け継いで行くかということです。日本経済の土台をつくりあげた職人達の技術が時代と共に風化してしまう事ほど悲しい事はありませんからね。





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Posted byホアルー

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