ベトナムの忘れ得ぬ月夜 〜会社に飲み込まれないと誓った夜〜
私は妻がベトナム人で、妻の故郷がベトナム北部ニンビン省のタムコックという、そこそこ有名な観光地です。
妻の故郷 ベトナム タムコック

ですので、ベトナムにも妻と一緒に良く帰郷しますし、結婚する前はベトナム国内の様々な観光地や、ローカルな街を訪れましたよ。
恋人時代はGWや年末年始など、長期休暇のたびにベトナムに行って、妻となる彼女と一緒に過ごしていました。
その当時私は中堅クラスの上場企業である電機機器メーカーに勤めていて、自分で言うのも何ですが伸び盛りの若手といった感じで、徐々に社内でも重要な役割を任せられていた時期でした。
担当業務も増えていき、一見充実しているかのように思えていた私の社会人としての歩みですが、徐々に業務や組織・会社に違和感を抱くようになっていきます。
当時所属していた部署の主任・係長・課長さん達はみんな一様に早朝に出社し、夜遅くまでサービス残業をしていました。

じゃあそれなりの労働としての対価である賃金はどうかというと、悲惨なぐらい安い(笑)
まあ賃金の事もそうなんですが、一番の違和感は、そんな管理者のみなさんがそういった状態を異常とも認識せず、会社のため、課員のためといった意識で、ある意味、自己陶酔・自己犠牲による悲劇のヒーローを演じているように感じた事です。
日本人の会社への依存度は異常

これって凄く恐ろしい事で、当時の会社で管理職になるって事は他の管理職の人達と同じように早朝出勤・サービス残業をしないと、口には出しませんが"何で早く来ない?何で残らない?"って雰囲気になるって事です。
職場全体の物言わぬ圧力で、無手当の時間外労働を強制される。
そして、その事に漠然と気付いてはいながらも、昔からの慣習だから例にならって管理者達は黙々とサービス残業に励み、自己陶酔に陥っていく。
このような状態って根本的に歪んでいますよね。そもそもサービス残業をしているから会社のために頑張っている、業務に励んでくれているっていう評価自体がおかしいのであって、
本来ならより早く管理業務をこなし、3時間のサービス残業を1時間にして、早めに帰宅したというのが評価されるべきです。
間接業務の生産性を向上させたという事なのですから。
遅くまで残って業務をこなしているから、会社への忠誠心が高い=評価が高くなるという会社ははっきり言ってヤバいです。
そんな会社の状態を当時私は良く見ていたので、もし私が管理者になったらどうするか?というのをよくシュミレーションしていました。
そんな事を良く考えていた時期に妻と知り合い、恋人となりベトナムを頻繁に訪れていたので、ベトナムの田舎のゆったりとした暮らしと当時の会社の管理者達の生き方を比較して、ますますその生き方の異常さを感じていたのです。
妻の故郷タムコックの月夜に、静かな湖面で月を見ながら自分の生き方の事、会社に変革を起こす方法、働く事の意味などをじっくりと考えました。
街灯も少ない田舎特有の、澄んだ月夜に心を洗われながら、少なくとも会社の悪しき習慣には飲み込まれないでおこうと誓ったのです。

あれから紆余曲折を経て、私は技能実習の監理組合関連企業で働いています。以前の会社より規模も小さくまだまだ若い会社ですが、凄く充実した環境で業務にあたっています。
サービス残業を暗に強制するような雰囲気もないですし、それぞれが自覚と責任を持って職務にあたっているような組織なので、多忙な中でもストレスを感じる事はないですね。
やはり惰性と暗黙の圧力でサービス残業を行っているような組織では、ストレスもたまりますし、自主性も発揮できません。会社の規模が大きくなればなるほど、組織の習慣を変革するのは難しくなってくるので、自らの道を思い切って決断していくのも一つの道だと思います。
決断すれば当然リスクはつきものですが、そのリスクを取り除く努力が自分を成長させてくれます。逆に決断せず現状にしがみつくリスクの方が大きくなってくるかもしれませんよ。
妻の故郷 ベトナム タムコック

ですので、ベトナムにも妻と一緒に良く帰郷しますし、結婚する前はベトナム国内の様々な観光地や、ローカルな街を訪れましたよ。
恋人時代はGWや年末年始など、長期休暇のたびにベトナムに行って、妻となる彼女と一緒に過ごしていました。
その当時私は中堅クラスの上場企業である電機機器メーカーに勤めていて、自分で言うのも何ですが伸び盛りの若手といった感じで、徐々に社内でも重要な役割を任せられていた時期でした。
担当業務も増えていき、一見充実しているかのように思えていた私の社会人としての歩みですが、徐々に業務や組織・会社に違和感を抱くようになっていきます。
当時所属していた部署の主任・係長・課長さん達はみんな一様に早朝に出社し、夜遅くまでサービス残業をしていました。

じゃあそれなりの労働としての対価である賃金はどうかというと、悲惨なぐらい安い(笑)
まあ賃金の事もそうなんですが、一番の違和感は、そんな管理者のみなさんがそういった状態を異常とも認識せず、会社のため、課員のためといった意識で、ある意味、自己陶酔・自己犠牲による悲劇のヒーローを演じているように感じた事です。
日本人の会社への依存度は異常

これって凄く恐ろしい事で、当時の会社で管理職になるって事は他の管理職の人達と同じように早朝出勤・サービス残業をしないと、口には出しませんが"何で早く来ない?何で残らない?"って雰囲気になるって事です。
職場全体の物言わぬ圧力で、無手当の時間外労働を強制される。
そして、その事に漠然と気付いてはいながらも、昔からの慣習だから例にならって管理者達は黙々とサービス残業に励み、自己陶酔に陥っていく。
このような状態って根本的に歪んでいますよね。そもそもサービス残業をしているから会社のために頑張っている、業務に励んでくれているっていう評価自体がおかしいのであって、
本来ならより早く管理業務をこなし、3時間のサービス残業を1時間にして、早めに帰宅したというのが評価されるべきです。
間接業務の生産性を向上させたという事なのですから。
遅くまで残って業務をこなしているから、会社への忠誠心が高い=評価が高くなるという会社ははっきり言ってヤバいです。
そんな会社の状態を当時私は良く見ていたので、もし私が管理者になったらどうするか?というのをよくシュミレーションしていました。
そんな事を良く考えていた時期に妻と知り合い、恋人となりベトナムを頻繁に訪れていたので、ベトナムの田舎のゆったりとした暮らしと当時の会社の管理者達の生き方を比較して、ますますその生き方の異常さを感じていたのです。
妻の故郷タムコックの月夜に、静かな湖面で月を見ながら自分の生き方の事、会社に変革を起こす方法、働く事の意味などをじっくりと考えました。
街灯も少ない田舎特有の、澄んだ月夜に心を洗われながら、少なくとも会社の悪しき習慣には飲み込まれないでおこうと誓ったのです。

あれから紆余曲折を経て、私は技能実習の監理組合関連企業で働いています。以前の会社より規模も小さくまだまだ若い会社ですが、凄く充実した環境で業務にあたっています。
サービス残業を暗に強制するような雰囲気もないですし、それぞれが自覚と責任を持って職務にあたっているような組織なので、多忙な中でもストレスを感じる事はないですね。
やはり惰性と暗黙の圧力でサービス残業を行っているような組織では、ストレスもたまりますし、自主性も発揮できません。会社の規模が大きくなればなるほど、組織の習慣を変革するのは難しくなってくるので、自らの道を思い切って決断していくのも一つの道だと思います。
決断すれば当然リスクはつきものですが、そのリスクを取り除く努力が自分を成長させてくれます。逆に決断せず現状にしがみつくリスクの方が大きくなってくるかもしれませんよ。
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