敷かれたレールの違い

敷かれたレールの上を歩くという表現は、どこか裕福な家庭に生まれた子供が、
親の会社や事業をそのまま引き継ぎ、リスクなしに良い生活を送れるようなニュアンスがあり、
あまり裕福でない家庭に育った人なんかは、何となく気持ちいい表現じゃない印象を持つ人もいるでしょう。
今の世の中、貧富の差が広まっていく中で、格差の固定化が問題視されています。
とはいえ日本で生活する上で、貧富による格差で絶対に這い上がれないような絶望的な状況かと言うと、日本はまだましだと思います。
低所得層の家庭といえども、最低限のネット環境は確保できるでしょうし、
ネット環境さえあれば様々な情報を取得し、自分の環境に合った情報の取捨選択を行い、
努力次第でインターネットでのビジネスを立ち上げ軌道に乗せる事も不可能ではないでしょう。
また、製造や飲食・介護業界なんかは、高卒でも若いというだけで、就職の難易度はそれほど高くないです。
本当に人手不足な業界なので、若いというだけでむしろ引く手数多でしょう。
仕事を選ばなければ最低限の収入を確保しつつ、複業的にネットビジネスを展開するというのを、
若い頃から試行錯誤しながらやるべきだと思います。
5年、10年諦めずに続ければ、それなりの資産をインターネット上に構築することは可能です。(ブログメディア等)
ですが、今や中進国と呼ばれるまでになったベトナムにおいては、日本と少し事情が違います。
社会福祉がまだ充実していないベトナムでは、日本のような充実した?生活保護制度もなく、ほぼ無収入で、小さな畑一つのみを所有し、
その日暮らすための食糧の確保すらぎりぎりという極貧家庭が今でも存在します。
当然ネット環境なんかないですし、PCやスマホも所有できない。
義務教育も中学課程までですが、小学課程(第5学年)までしか行かせられない、という家庭もあります。
その上、地方農村部などでは当然安定した収入を得られる職なんてない。
裕福な親戚が周りにいれば、お金を工面してもらえるが、一族ほとんどが貧しい。
哀しいかなこのような状況に置かれた子供が、経済的裕福を勝ち取るのは、
ベトナムでは本当に至難です。絶望的ですらあります。
<ベトナム 生まれた家の違いでこれほどまでに境遇が違ってくるという事>
ですが、そんな状況もある意味親から敷かれたレールなんですよ。
哀しい言い回しになりますが、極貧生活という名のレールです。
そういった家庭に生まれた子供でも、なんらかの素晴らしい才能を持った子供も必ずいるでしょう。
しかし、その才能が世に出る事もありませんし、そもそも自分の才能に気付く事すらできません。
ベトナムですら、そのような環境下にある子供たちがいるのです。
発展途上国なら、なおさらそういった家庭環境の子供たちが大勢います。
裕福な家庭に生まれ、敷かれたレールを歩き、不自由のない生活を送る事は、
その人の生まれ持った権利ですし、誰にも非難される事でもありません。
ですが、世の中には絶望的な環境下に置かれている子供たちがいる事を忘れないようにするべきだと思います。
私に何が出来るわけでもないですが、その事を忘れないでいる事はできます。
みんなが忘れないでいれば、問題として意識されるという事なので、
少しずつ何かが変わっていくかもしれません。
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